
東根の雛人形は、江戸時代から現代に至るまで、多種多様な姿で大切に受け継がれてきました。
ここには、天童藩主・織田家から豪農・安倍家へ、多額の資金提供に対する感謝の印として贈られた由緒ある有職雛(ゆうそくびな)や、今から150〜180年ほど前と推測される貴重な古今雛(こきんびな)など、地域の歴史と深く結びついた数々の逸品が残されています。
東根の雛文化を支えたのは、地域の繁栄です。明治時代にタバコ栽培で財を成した農家が求めた珍しい掛軸仕立ての雛人形や、紅花栽培の組合運営に関わった豪農・武田家に伝わる紅花染めの布を用いた京雛などは、当時の豊かな経済力を物語っています。
また、雪国ならではの風習として、春の訪れが遅いために一ヶ月遅らせて節句を祝う「月遅れ」の習慣がありました。かつては3月28日に本町通りで「雛市」が開催され、4月24日頃まで飾られていたことから、雛人形と一緒に五月人形(置き人形)を並べて飾るという、東根独自の光景も見られました。
芥子粒のように精巧な芥子雛(けしびな)京式雛人形、そして情緒豊かな手作りの吊るし飾りまで、東根が誇る雛文化の粋をぜひ心ゆくまでお楽しみください。
ひがしねどっとこむ

安倍家の有職雛(ゆうそくびな)は、東根の雛飾りを代表する美しい人形です。元々は福島県三春や秋田藩の所有物でしたが、天童藩の織田家へと移りました。幕末、織田家が高畠から天童へ移る際、東根の豪商・佐藤家や安倍家が多額の資金提供を行ったことへの感謝の印として、安倍家に贈られました。屏風は上山市出身の絵師、柳原龍玄によるもので、長寿を願う高砂や鶴、松の巨樹が描かれています。

明治時代の古今雛(こきんびな)5段飾りの小ぶりな作りで、非常に貴重とされています。屏風には舞楽の装束が描かれ、当時の風潮を伝えています。また、加藤清正や弁慶などの置き人形も一緒に飾られていますが、これは雪国で「月遅れ」の4月まで飾る習慣があり、端午の節句が近かったためです。かつて本町通りで3月28日に開催されていた「雛市」についても触れられています。

明治初期の京雛(きょうびな)です。明治14年に生まれた女の子の初節句のために山形市で購入されました。屏風は六曲一隻で、長寿を祝う松や鶴が豪華に描かれています。また、当時非常に人気のあった「押し絵」の人形も残されており、貴重な資料となっています。

江戸時代の芥子雛(けしびな)です。「芥子」という名の通り、芥子粒のように非常に小さい(高さ数センチ以下)のが特徴です。古今雛をそのまま小さくしたような精巧な作りで、5段の段飾りや道具類もすべてコンパクトにまとめられています。

昭和40年代から50年代にかけて作られた現代の有職雛です。京都の人形師、平安光義(平安作)の手による「京式」の雛人形です。昭和50年前後に生まれた2人の娘さんのために、母方の実家から贈られたものとされています。

昭和50年代に生まれた娘さんのために購入された現代雛です。あわせて、昭和29年生まれの娘さんのための市松人形も展示されています。

江戸時代の古今雛です。昭和初期に大石田の豪商から依頼されて買い求めたもので、当時は有職雛として伝わっていました。屏風は六曲一隻の極彩色で、絵師は不明ですが狩野派の流れを汲む非常に高い技量を持った人物によるものと推測されています。

大正初期の関東雛です。大正7年、当時米沢駅長だった祖父が、初孫の誕生に合わせて埼玉県岩槻で求めたものです。屏風は「梅に鶯」が描かれた六曲一隻で、明治から大正に活躍した東京出身の画家、後藤の手によるものです。

江戸ちりめんを使用した手作りの雛人形です。有職雛風の仕立てや、情緒豊かな「吊るし飾り」が特徴です。種類が非常に多く、軍を抜く迫力があります。

屋号「梅が枝清水(めがすず)」に伝わるお雛様です。江戸末期から明治時代に作られた、珍しい掛軸仕立ての押し絵雛です。この地域では、明治時代にタバコ栽培で財をなした農家がこのような掛軸の雛人形を求めた例がいくつかあり、その一つではないかと考えられています。

元呉服屋「板屋」を営んでいた横尾家の古今雛です。明治20年代生まれの娘さんのためのものですが、人形自体はさらに古く、今から150〜180年ほど前のものと推測されます。山形市内の酒造家から嫁入り道具として持ち込まれたか、呉服屋の取引先であった京都から取り寄せられたものと考えられています。

平成23年に発見された、紅花栽培の豪農・武田家に伝わる京雛です。顔は貝殻の粉末を何層にも塗る伝統的な技法で作られており、300年近く経っても美しい色を保っています。袴の部分が丸く膨らんでいるのが京雛の大きな特徴で、これは当時の女性が片膝を立てて座る習慣があったため、それを隠す意匠です。また、袴の布地には紅花染めが使用されています。